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SMに関してのアダルトな内容です 20歳未満 SMや女性上位に不快感をお持ちの方は ご遠慮願います
♪ fin甚句 ♪


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「おじちゃん前もして」
私は全身愛撫されるのを望んだ。

ベッドの上とかではなく、納屋の一角にある狭い板の間である。
行為を行うのは体勢的にとてもキツかったと思う。
しかし、私の上に跨って馬乗りの体勢になる事はしなかった。
子供で小さいので大人にするよりは楽だったかもしれないが、右に左に移動しながらの行為は辛かっただろう。
それでも、不平を言われた事はない。

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私は酔うとよく笑い話し可能な我が侭を言い、自分も周囲の人も楽しく過ごせる。
しかし、どっぷり酔うと性質が悪い。
記憶がなくなるうえに超我が侭女になる。
女友達はしょうがない顔で呆れ果て、普通の男性には嫌われるか呆れられるかどっちかだ。

だが、M男には大変好かれる。

「おじちゃん上の方もして」
「どこからしましょうか?」
「手から」
手を取って口に含み始めた。
「どんな味がする?」
「嬢様の味がします」
指にしゃぶり付きながらおじちゃんは答えた。
「奴隷は土下座が好きなら土下座で舐めて」
おじちゃんは這いつくばって舐める。
脇に近づくと動きは止まりゆっくり匂いを嗅いだ後、丁寧に舐める。
私はくすぐったくない体質だが流石に脇をチロチロ舐められると逃げる程ではないが、くすぐったい。

嬢様と奴隷の行為は、盆休み期間はお昼に一旦中断するが、平日だとほぼ丸一日かけて行われた。
納屋は割りと涼しいし最適だった。

私の家も変わっている。
まず、親戚付き合いがほとんどない。
父母が親戚付き合いをあまり好まなかった。
父は珍しく一人っ子。
祖母は嫁ぎ先で待遇が良くないうえ、夫は戦争で亡くなった。
あまりにも待遇が良くない為、夫の戦死後、父を連れてそこを出た。
祖母の実家の血筋は繁栄して賑わっているが、出戻りには冷たい。
土地を分けてもらいそこでひっそりと母子で頑張った。

私は30歳で飲酒をきっちりやめた。
22歳頃から夜のお仕事をしていたからほぼ毎日飲んでいたのにぴったりとやめた。
やめてからは体調は断然良くなった。
今はごくたまに飲むくらいだが、外出先では絶対飲まない。
部屋やホテルとか、移動しなくてもそこですぐ寝れる場所でないと飲まない。
私は酔うとS性が濃くなり(地が出る) 更に、記憶がなくなるタイプだからだ。
この歳で失敗は出来ない。

M男になった途端におじちゃんは饒舌になった。
私の話をニコニコしながら聞いてくれる無口なおじちゃんとは思えないほど別人だ。

最初の頃、2人の会話は圧倒的に私が話す事が多かった。
おじちゃんはそれに軽く相槌をうつ程度である。
時々唐突にびっくりする行動はしていたが無口で、そういう時は私と目を合わさなかった。
初めて足を舐めらた時は質問が多かった。
私がどういう性質なのか探っていたのか?
S女になる素質があるかどうなのか?
自分のM趣向をこの子と確立出来るかもしれないなどと考えていたのだろうか?

2回目のお医者さんごっこは、正座で挨拶から始まった。
今日の機嫌を聞かれ
「どこからどのようにしましょうか」
「喉が渇いたら遠慮なく言って下さい」
至れり尽せりだった。

実際はもうお医者さんごっこではなかったが私は聞いた。
「いつものようにするのとお医者さんごっことどっちがいい?」
「おじちゃんは嬢様がして欲しい事をさせてもらうのが楽しいのです」
「どうして?」
「嬢様の言う通りにするのが好きなんです」

私はお願いだけされるのは大嫌いだが、お願いされるのは好きだ。
私が楽しくて気分が良い時や、いろいろと頑張ってくれた後にお願いされたら
「しょうがないなぁ」
という顔は一応するものの、可能な事なら実行する。
結構甘い。

だけど、責めには根をあげるくせにお願いだけはしっかりする奴には大噴火する。
大噴火は初めての相手とプレイする時によく起きる。

S女教育を受けている私は、とても優等生だった。
自分はじっとしていて相手に指示をしてさせるのが始まりだったが、高学年になった頃には自分の意志や唐突に思い付いた新しい行為を自ら相手にする事も少しだがあった。
させるのではなくて、するのだ。

だが、その陰にはおじちゃんの細やかで辛抱強い努力があった。
奴隷だが、教師でもある。
優等生の私に対して自己満足していたに違いないと思う。
妖しい行為から少し離れて、おじちゃんの事と、現在の私とおじちゃんの関係を書くことにする。

おじちゃんは私の事を 「finちゃん」 とか 「嬢ちゃん」 と呼んでいる。
「お嬢ちゃん」 の 「嬢」 で 「S嬢」 のそれではない。

うちの田舎あたりは御近所同士で話す時 「山田さんのところの上の嬢ちゃん」(山田家の長女の事)
「鈴木屋の2番目の嬢ちゃん」(鈴木屋とは屋号、そこの家の次女の事)こんな風に話す。
男の子の場合は 「山田さんところの下の僕」(山田家の次男の事)となる。
そういう呼び方を大人がしているので自分が 「嬢ちゃん」 と呼ばれても不思議なく育った。
その呼び方は、世代交代があってからは減ったが、今でも多少は残っている。

近所の同級生女子3人のお医者さんごっこは、患者、医者、看護婦のキャストだったが、おじちゃんと2人でそれをするとなると、私は患者と看護婦を2役しなくてはいけない。
3人の時、触りっこに発展してからは患者はほとんど発言権がなく、医者に
「ここはどうですか?」 と訪ねられれば 「わかりません、よろしくお願いします」 が定番になっていた。

間違っても 「そこをもっと」 とか正直には言わなかった。

あれほど毎日集まっては熱中していたお医者さんごっこ(触りっこだけど)も、新学期が始まり規則正しい日常がスタートすると、惜し気もなくパッタリとやめた。
休日は親がいるし、家族と出かけたりする。
たまにはしようという話題にもならなかった。

子供とはあまり物事を深く考えていないからか、ほんとに諦めの良い生き物だ。
1~3月は寒く、雪もよく降る。
放課後や休日はそれなりに季節に応じた遊びや子供らしい遊びを戸外で愉しみ、春休みもまたその延長だった。

お医者さんごっこは誰でも経験している子供にとって妖しい遊びの趣向だ。
だが、女同士がその内容について詳しく話すことはあまりない。
男同士は自慢心があるのだろう、自分が1番良い思いをしている風に話すことがあると聞く。
どっちも異性と経験した場合だ。

私の場合は同性同士の 「ごっこ」 である。
同性同士の場合、妖しい行動の話は他言し辛い感があるし、ましてや 「ごっこ」 を行った当人同士では恥ずべき行為、その話題になったことは一度もない。

行為はどんどん内容が濃いものになっていったが、おじちゃんは自分からは何もしなかった。
相手は子供なのだからどうにでも出来るものなのに、しなかった。
ゆっくりじっくりアピール行動を繰り返し、こちらの反応と返答を待っている。
性的欲求を果たすことも(オナニーするとか自分のモノを触らすとか)なかった。

まぁ私も小学2年生だったので男性生殖器のしくみなど知らないし、オナニーや勃起、セックスやSMなんて見た事も聞いた事もない知らない世界だ。

7歳の私の足を27歳の男性が舐める、私達にとっては当たり前の行為になった。
二人きりになれば足も手も、この行為は必ず行われた。
夏~秋の間は頻繁に機会があったので、回数を重ねる度に私は大胆になった。

「ここが汚れた、舐めて」 理由もないのに 「ここ舐めて」 自ら何回も要求し、おじちゃんは従った。
隣家や我が家が留守の時は、それは縁側や納屋で行われ、私のほうから誘った。
今日はうちは留守です、と隣家の情報をくれるのはおじちゃんである。
結果的には私が誘うのだが、頼んでもいないのに情報を提供してくれているのだから、おじちゃんも誘って欲しかったのだという事になる。

母親とはこれと似たような場面が入浴や泥まみれで帰宅した等ではあったが、小言口調付きである。
小学2年になっていた私にこのように丁寧に拭いてくれるはずもなかった。
私はおじちゃんが大切に扱ってくれたように思えて嬉しかった。
その日からこの行為は当たり前のように常時行われ、自然な流れで足もそうなった。

足の場合は、靴を脱いだ素足に片手で水をかけられながらもう片方の手で洗ってもらい、手と同様に拭いてもらっていた。

7歳の時(小学2年の夏休み)父は、田舎で一人暮らししている母親を案じて家族と共に実家に戻った。
共同でしていた仕事は義弟にそっくり譲り、自分はそこから通える会社勤めを始めた。
地方とはいえ中心部に住んでいた私は、隣の家が見えないような田舎に突然転居させられかなりショックを受けた。

今までは学校まで5分だったのに、いきなり一山超えて学校に通わなければならないのだ。
2.5~3kmの距離を徒歩で。
夏休みの間に何回か母親がトレーニングをしてくれ、なんとか2学期を向かえる事が出来た。
通えることは出来たが、街から引っ越してきた私はクラスで浮いており、なかなかな馴染めない。

4~7歳時、父が義弟と共同で仕事を始めた。
その頃、知合いに2世帯住宅を建てたものの使用しなくなったから格安家賃でどうかという話があり、資金のやり繰りに四苦八苦していた女性陣は、自分達が姉妹で同居に抵抗反対する理由がなかった。
勝手に話を進めながら男性陣にも強固に勧め、とうとう従妹家族と同居する事になった。

従妹家族は母の妹とご主人、息子2人。
私の家族は父母と私、妹。

思い起こせば、S女だと実感したのは20~22歳頃。
しかし、それ以前の子供時代から、それに繋がるような要因が度々あった。
その当時の私はそれに気付いてなく、普通に過ごしてきた。
今にして思えば立派な要因ではないかと言える。

4歳まで住んでいたところには遊び相手が男子しかいなかったが、女子の私は邪魔者にされるということなく仲間に入れてもらえ、それをいい事にしっかりおてんばに育った。
同等にやんちゃをして遊んでいたと思っていたが、相当譲歩してもらっていたはず。

容姿は十人並み、歳相応。
とある友人S女性には 「矢野 顕子に似ている」 と言われました(^^)

若い頃には 「由紀さおり」「西川峰子」「坂本冬美」「城戸真亜子」「室井滋」 などなど。
先日昔からの友人に 「若い頃は 持田香織風 だったよね」 なんて持ち上げてもらいましていい気分になりましたが、それを丸っきり信じる阿呆ではありませんワタクシ。

とにかくなんだかよくわかりませんが、卵型で日本的な顔のイメージなんだなとはおわかり頂けると思います。

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